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市民大会もオリンピックも本質は同じ(ではないか?)

2019年04月7日

例えば今自分が小学生の試合にでたら?と想像した時に、深掘りしていった結果、1つの答えにたどり着いたので、ここに書き溜めておきたいと思った(あくまで個人的な見解)

 

大きい大会(または大きいと思い込んでいる)を大きくみないこと。大も小もない。ただただ試合があるという認識にすること。

大きいと捉えれば無駄な力を、小さく捉えれば油断を生むと思う。

 

あくまで中庸に、どちらにもあまり振れないこと(振れてもいい気楽さを持つことも肝要)

振れる自分がいるのであれば、練習の段階で振れている自分を経験しておくことが必要。

逆に振れない自分がいるのであれば、それも練習で経験しておくこと。

 

あくまで針は真ん中にしておき、フラットでいること(自然体であること)

 

例えば亀山耕平(30歳)が全国小学生大会に出場するとする。

この時「失敗して万が一にも負けてしまったらどうしよう」という心理が少しは働くことがイメージできる(これは個人的に感じること)

どんなに簡単な技でも恐らく普段とは違う気持ちは生まれるだろう。

 

また、オリンピックに出場した時にも、普段とは違う気持ちが生まれ、それによっての体の反応が変わってくると推測できる。

 

つまり「試合の規模が大なり小なりあったとしても、自分の反応は変わる」ということ。

 

もし自分が1ヶ月後に全国小学校大会に出場するとしたら、しっかり演技を作り込む。

「どんな環境で、どんな相手がいて、どんな自分になっておくかを設定して、どんな心理が働いて、、、」と試合を分解し(ここが超重要)対応策を立て、それを練習に落とし込んでいき、試合当日を迎えているだろう。

 

この作業はオリンピックに出場するとしても同じだと思う。

 

大規模を大きくみてはならない、小規模を小さく見てもならない。

自然に見ることができる自分を練習や日常で作っておく。

 

針は真ん中にありフラットで、大きいも小さいもなく真ん中を進めるようにしておくこと。